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2006/07/14Vol. 55 / No. 27
MMWR55(27): 745-749 CDCが3期目の10年間(1966年から1975年)に突入する原動力となったのは、国内および世界における変化であった。その10年間は伝染病センターとして始まり、米国保健教育福祉省(HEW)公衆衛生局(PHS)の一部の疾病対策センターとして終わった。1965年までにCDCは、伝染病対策に関する国家の資源となり、技術的支援、人材派遣、助成金等を通じて、主な支援団体、州や地方の保健局のために尽力した。それまで、Epidemic Intelligence Service(EIS)が国の訓練された疫学者の主要な情報源として定着しており、一方CDCの研究室は細菌学、臨床化学、毒物学の判断基準と認識され、ワクチンにより予防可能な疾病、性感染、結核を管理するための州への支援計画は良好に機能していた。しかし、わずか1年後に、米国や外国での事象が、CDCの公衆衛生に対する責任領域を一変させ、CDCは地球規模の保健問題における主要な提供者へと転換して、伝染病にとどまらず国内での責任が拡大した。1966年、CDCは勢いの弱まった一つの疾病根絶計画を継承し、世界的規模で唯一の疾病根絶を推進するもう1つの機能を持つこととなった。最初の計画はマラリアを対象とした。1966年、世界保健機関(WHO)マラリア根絶計画を支援する米国国際開発庁(USAID)のマラリア活動は、目標達成に至らなかった。WHO計画の基本前提は、マラリアはDDT屋内散布による蚊媒介予防で根絶可能というものであった。この目標に対して障害となったのは、不十分な調査、研究不足、関係国の汚職や支援削減、また医療従事者の不十分な訓練等であった。CDCは、国の保健機関と協力して、より効果的な調査や研究を盛り込み、訓練を改善し、国の計画に役立つ管理を徐々にしみ込ませる努力を率先して行った。Donald SchiessmannとRobert Kaiserの指導の下に、CDCはマラリア活動の焦点を、根絶から死亡や疾病対策へと変更した。今日、約40年後、CDCは疾病との世界的な戦いを行う牽引役となり、ケニアやグアテマラにある支部を通じて方法論、監視、実地調査の評価に焦点を当てている。また、大統領のMalaria Initiative、Roll Back Malaria計画について、USAIDやWHOと共同で取り組んでいる。2番目の世界的挑戦は天然痘であった。CDCは、西、中央アフリカの20ヶ国で、CDCのAlexander LangmuirとD.A.Hendersonが始めた努力の結果に基づいて天然痘根絶計画を策定した。国内展望においては、地球規模の保健に対する突然で劇的な登場とは対照的に、拡大する国内活動へのCDC事業はより漸進的であった。1970年、CDCのさまざまな活動への関わりから、疾病対策センター(CDC)と名称を変更することになった。新計画の多くは、国外にあるEIS として、EISの父と呼ばれるLangmuirが説明している。Langmuirは人口過剰を懸念していた。彼は伝染病管理に対するCDCの方針が、家族計画プログラムに受け入れられるものと考察していた。CDCの歴史をみてみると、多くの主要な疾病の発生や調査ではなく、その時代における公衆衛生学の進化に関心を寄せていることがわかる。院内感染への不安は、感染症の減少が救命だけではなく費用対効果であることを証明するために、Study on the Efficacy of Nosocomial Infection Control(SENIC)が主として取り組むこととなり、10万人の命のキャンペーン(100,000 Lives Campaign)のような21世紀活動のための科学的基盤を提供した。CDCの歴史における3期目の10年間は、国の疾病予防機関となるために堅固な基盤を確立したことが示されている。
CDC60周年記念所長の展望-David J. Sencer, M.D., M.P.H.、1966~1977年
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