きのこ×フロンティア

第10回:無免行路

2020.01.07 Tue

菌類・植物

前回、高次元データの可視化についてお話しすると予告しましたが、そちらは一旦置いておきます。昨年9月に出版された荒木優太(編著)『在野研究ビギナーズ』(明石書店)という本に出会って色々考えることがあったので、今回の記事では、これまで敢えて言及を避けてきた「アマチュア論」に少し踏み込んでみたいと思います。この本は、現在政治学、哲学、生物学といった各分野で、「在野研究者」として活動している人たちによる実例集で、少なくとも筆者は共感するところ大でした。とはいえ、以下の内容はこの本へのアンサーでも書評でもありません。在野研究者の孤独や苦悩といった源流のコンテキストをまず、おそらくそういった人生とは縁が薄いであろう大多数の方と共有するところから始めるのは私には荷が重く、紙面を尽くしたとしても足りません。そこで、一般化を意図せず、あくまで私個人の視点(「きのこ眼」)で、アマチュアという生き方について持論を披瀝してみたいと思います。

これまでの連載をご覧になって、筆者をきのこの専門家あるいは研究者だと誤解されている方がおられたら申し訳ないのですが、私は毎回の記事末尾の自己紹介にもある通り、単なるきのこの愛好家で、研究者などという大層な肩書きは名乗れません(たとえ「アマチュア研究者」であっても)。ごく簡単な研究をアマチュア雑誌に投稿することはありますが、カレーを作る人が必ずしもカレー屋ではないように、研究をする人が研究者を自認しているとは限らないのです。『ビギナーズ』の執筆者の面々はその実、ビギナーとは程通い達人級の人々のように思われますが、愛好家と研究者の間にも、それなりの実力的・心理的な隔たりがあるように感じられます。とはいえ、いずれも職業研究者にはない種々の制約に同じように縛られるという点では、研究の場においてはアイデンティティの自認など些細な違いなのかもしれません。朝から夕方までフルタイムで働くと、仕事が終わる頃には外は大抵真っ暗です。一度やってみると分かりますが、一般的には日没後にきのこを探すことはできません(海外には発光きのこを探しに夜の熱帯雨林に分け入っていく研究者もいるそうですが)。満員電車に揺られて家に帰り、休日に面白い菌が採れていれば顕微鏡を覗くモチベーションも湧きましょうが、体系的な研究など夢のまた夢、気力も資力も足りません。志を同じくする同世代の仲間には、生まれてこのかた出会ったことはありません。七千本の論文を読んできて分かったことはただ一つ、自分が彼らのように、大歓声の中でバッターボックスに立つことは永遠にない、ということだけ…。

それでもなお、筆者には伝えたいことがあります。それは、肩書きや年齢・性別等にかかわらず、誰にでもフロンティアを目指す権利はある、ということです。権利だけではなく、能力も機会も、手に入れることは不可能ではありません。ただし、それらが自然に手に入ることはありません。望んだリアクションやリワードを得るためには、この世界の適切な場所に適切なエネルギーを印加することが必要で、そのタイミングや力加減は十分に考えなければなりません。筆者は、自ら新たな価値を生み出すことを望む人は、少なくとも一つ、できれば複数の「スペシャリティ」を備えるべきだと思います。スペシャリティとはいっても、専門家のレベルに達していなくても全然問題ありませんし、世間では蔑視されがちな「こだわり」や「偏愛」の形でも構いません。とにかく知識のネットワークの中に、人と比べてやたらと密な箇所があればよいのです。例えば、街路樹の幹のうろを覗き込む人はあまりいないと思いますが、覗き込んだ視野に菌類の知識というレイヤーを重ねると、他の場所では見たことがないような珍しいカビがそこに生きていることに気が付くかもしれません。レイヤーがなければ、それらは「視野に入っているにもかかわらず」見えないものです。昆虫学、樹病学、木材化学などのレイヤーを持っている人には、それぞれにまた別の発見があるかもしれません。どうやらこの世界の構造はチーズケーキのように密に詰まっているのではなく、無数の未知が泡のように内包されているようです。だとすると、その「外縁」、すなわちフロンティアは辺境にしかないのではなく、むしろ内部に遍在しており、ごく身近な場所に隠れているのかもしれません。世に「最先端」と呼ばれる辺境のフロンティアでは、しばしば高価な実験器具のような「重装備」が必要になりますが、ルーペ1つ、顕微鏡1台といった「軽装」で冒険できるフロンティアも、この世の中には溢れていると思います。

ところで筆者は今年4月に某大学のゼミに招いていただき、『生物多様性市民科学の可能性を広げる機械学習』という演題で発表しました。「オープンデータの充実により、アマチュアとプロとの関係は変容する」という論旨を軸に、「従来のアマチュア像」に囚われないアマチュアの在り方を議論しました。ここで想定した「従来」とは、自分が興味を持った(しばしば学問の対象になりづらい!)材料と、多大な時間と労力をかけて熱心に向き合い、野外調査や顕微鏡観察によってプロでも気が付かなかったような新事実を明らかにするという、おそらく現在に至るまで一つの理想形とされているアマチュア像です。例えば2004年に「コウボウフデ」というきのこが、それまでプロの研究者により担子菌に分類されていたにもかかわらず、アマチュア研究者が様々な生長段階の子実体を丹念に調べた結果、実は子嚢菌であることが明らかになったという出来事(門レベルの変更は分類学上極めて稀)は金字塔と称されるにふさわしい成果だと思います。しかし、その後アマチュアがそれに匹敵する大発見をしていないことからも分かる通り、それは誰にでも容易に真似できることではありませんでした。筆者はむしろ、そのアマチュア研究者が新事実を発見したのち、独学で論文の書き方を学び、信頼できるプロの共同研究者を自ら選び、他の研究者が噂を聞きつけて着手する前にいち早く学術誌での発表に漕ぎ着けたことこそが稀有であり、価値があるのではないかと思っています。それから15年が経ってハイアマチュアの数もかなり増え、プロとの協力体制が以前よりも整い、ノウハウが蓄積した現在でも、常人が同様のことを成し遂げるには、まだ環境面の整備が著しく不足していると思います。私見ではありますが、アマチュアの中には野山を駆け回って珍しいきのこを集めることに専らやりがいを見出し、その分類群の専門家に標本を送付して、「あとの難しいことは全部センセイにお任せ」という、否定的に見れば「プロの小間使い」のような人も少なくありません。本人が満足しているならそれでもよいのかもしれませんが、それはこれからの時代の市民科学が目指すべき姿とは異なると思います。本当はそこから先に自ら進みたいけれども、独力では手詰まりだから諦めている、という事例もあるので、そういう人たちの手助けをする仕組みをアマチュアが主体的に創出していかなければならないと思っています。

学問の分野に関係なく、研究にあたっては学術論文の理解が不可欠ですが、その情報にアクセスするためには、筆者は「入手の壁」「言語の壁」「専門性の壁」があると考えています。情報技術の発達に伴い、それらの壁の一部は、アマチュアでも比較的容易に超えられるようになってきました。論文の入手に関しては、最近はオープンアクセスの学術誌や著者自身による公開も多く、そもそも図書館を介さずにWeb上でボタン一つでPDFをダウンロードできること自体が飛躍的な進歩だそうです(その時代に生きていないので伝聞ですが)。英語やラテン語も、今やGoogle Chromeで右クリック→「日本語に翻訳」を選ぶだけで、実用レベルにかなり近い翻訳結果が一瞬で得られるようになりました。これは進歩である一方、そのせいで「英語が読めないから」という言い訳ができなくなったとも言えるかもしれません。とにかく、2つの壁が超えられた時点で道は大きく開けます。筆者は、これからの時代には様々な職業のアマチュアが各々のスペシャリティを背景に、働き方改革で生まれた余暇を活用しつつ、従来以上に多様な成果を生み出すことができるようになるのではないかと期待しています。例えば、筆者は独学ながらテキストマイニングや機械学習といったデータサイエンス的手法に関心があり、そのレイヤーを菌類学の知識に重ねて新たな知見を得ることを試みています。また、本業で培った情報検索や書誌に関する知識や経験も、それ自体は菌類学とはかすりもしませんが、レイヤーとして重ねると意外とシナジーが生じます。本業が研究、研究が本業を補い合って、落合陽一氏が唱えるところの「ワークアズライフ」をかなり実現できているのではないかと思います。

(約2万本の論文から「菌類が○○を促進する/阻害する」または「○○が菌類を促進する/阻害する」と書かれた文を抽出し、人手で分類してネットワークグラフ化したもの。緑の矢印が促進、赤の矢印が阻害。矢印の太さは抽出数を反映。詳細はのちにどこかで発表予定。)

一方、これは自らに対する戒めでもありますが、博士号はしばしば、そこから一人前のプロの研究者として自立していくための「免許証」に位置付けられます。その論理に従えば、博士課程を修了していない人による研究は「無免許運転」ということになります。その自覚は常に持っていなければならないと思います。幸い菌類学の分野では寡聞にして存じませんが、他の学問分野では突飛な学説を主張する人々が一定数存在し、ある学会ではなるべく人の来ない場所と時間帯にそういった人々をまとめて「隔離」する会場があるとも聞きます。現実問題として、本当にゼロからの独学で学問の規範、いわゆるディシプリンを身につけるのは困難です。初めは免許証を持っている人に同乗させてもらうのが一番だと思います。「あさっての方向」が「斜め上」程度に収まればちょうどよいのですが、突き抜け過ぎるのはよくないのです。どうかご安全に。

中島 淳志 (なかじま・あつし)

1988年生。2014年4月IMIC入職。安全性情報部所属。
学生時代には菌類分類学を専攻。現在は業務の傍ら、アマチュア菌類愛好家(マイコフィ
ル)として、地域のきのこの会等で菌類の面白さを伝える"胞子"活動を行う。
夢は地球上の全菌類の情報を網羅した電子図鑑を作ること。