きのこ×フロンティア

第14回:「i am Naturalist」

2022.06.03 Fri

菌類・植物

きのこのことを学ぶには、やはり野外で実際にそれに触れるのが一番!…なのですが、日中仕事をしながらとなると、やはり難しいのも事実で、おそらくきのこ観察に限らず、多くの趣味やライフワークに同じような制約があるはずです。筆者もきのこに関する論文を読んだり、資料を集めて解析したり、といったインドアの活動は社会人になっても欠かさず継続してきたものの、野外観察の機会は、所属しているきのこの会の定例行事に参加する程度にとどまっていました。そのうちにフィールドから足が遠のき…、年を経るごとに、端的に言うと「サボり気味」の状態に陥っていたわけです。

しかし、最近の筆者は、以前とは桁違いにアクティブです。テレワークが終わった後、日が沈むまでの寸暇を惜しんできのこ探しに出掛けるほどで、半年前の自分には想像もできなかったほどの熱心さを自覚しています。今回お話しするのは、筆者の「やる気スイッチ」が突然オールグリーンになった複数の要因についてです。もし読者の方が、自分が最近停滞気味で、心身が澱んでいると感じているとすれば、もしかするとその状態を脱却できるヒントをご提供できるかもしれません。

まず1つ目のやる気UP要因は、「徒労が減った」ことでした。きのことの出会いが一期一会だということには以前の記事でも言及しましたが、きのこを探しに行っても全く、あるいはほとんど何も見つからずに帰ってくることは珍しくありません。釣りでいうと、1匹も釣果がない「ボウズ」の状態です。特に、せっかく遠方まで出向いたのに、環境が乾き切っていて全然見当たらなかった、というのはダメージの大きいネガティブ体験です。面白いきのこが見つかる確率は「目の数が多い」、つまり同行する人数が多いほど高くなりますが、それが単独行への厭倦や、誰かが採ってきたものを見せてもらおう、という懶惰に繋がっていたわけです。

しかし、現在は「ボウズ」どころか、たった1時間探しただけでも、持ち帰った後の処理に半日以上かかってしまうほど大量の標本を採集できるようになりました。これまでシーズンオフと思い込んでいた真冬にすら!…そのカラクリは、きのこの探し方の工夫です。筆者は最近、丸太や太めの落枝が目につくたび、片っ端からひっくり返すという探索戦略をとっています。地面が凍っていない限りは一年中、コウヤクタケ類などの小型の材上生きのこや様々なカビ類を見ることができ、ほとんどの図鑑に載っていない未知の多様性が広がっています。大型で派手なきのこが好きな人には薦められませんが、季節とともに遷りゆく「あわさい(隙間)」の菌類の奥深さを、もっとたくさんの人たちに知ってほしいと思っています。

次に、2つ目のやる気UP要因は、そのような地味なきのこやカビの多くが顕微鏡観察なしには同定不能であるところ、それを可能にした「新しい顕微鏡」の購入でした。ちょっと個人で購入するには高価すぎる、大学の研究室や博物館にあるレベルの「デジタルマイクロスコープ」と「光学顕微鏡」を、思い切って入手してしまいました。

どちらも4K画質で写真を撮影することが可能です。筆者の壊滅的な写真のセンスを知る人からは「過ぎたるもの」と言われそうですが、美麗な写真を容易に撮ることができれば、SNSや後述するiNaturalistへの投稿意欲も高まります。よい道具を持つこと、形から入ることはある程度必要ではないかと思います。

最後に、筆者が最近愛用しているのが、「iNaturalist(以下、iNat)」というSNSで、これが最大のやる気UP要因と言えるので、詳しくご紹介します。iNatはきのこに限らず、野外で出会った様々な生き物の観察記録を投稿できる世界最大級のサービスで、2022年5月現在、まもなく全世界の観察記録が1億件に達する勢いです。iNatは世界規模の生物多様性調査に大きく貢献しており、日本国内でも、多くの自治体などの公的機関が「いきもの調べ」イベントなどでiNatを活用し始めています。

投稿された観察記録は日時や場所、分類群などで検索できるので、例えば「日本国内で観察された菌類」のページをブックマークしておけば、随時リアルタイムでチェックすることが可能です。

一定の条件を満たした観察記録は「研究用」グレードが付与され、プロの研究者も利用する「GBIF」などのデータベースにも反映されるので、市民科学のプラットフォームとしても有望視されています。なお、本コラム第7回で「Seek by iNaturalist」というスマートフォンアプリを紹介しましたが、それはiNatが機能の一部を家庭・子ども向けに再構成して提供しているものでした。

iNatにはAIによる同定補助機能(きのこの精度は参考程度ですが)があるほか、詳しいユーザーが同定結果を提案してくれることもあるのですが、残念ながらまだ日本のきのこについては、愛好家の利用者が少ないので、あまりその機能は期待できません。しかし、時に海外のきのこに詳しい人が同定を手助けしてくれることもあり、筆者も何度も助けられています。きのこではなく鳥やカエルやヘビの写真を投稿するとあっという間に誰かが同定してくれるので、きのこもそのレベルに達することを期待しています。もっとも、きのこの同定は写真だけではどうにも困難な場合が多いですが…。

海外では専門家が集結して、過去に一定地域で投稿された菌類のiNat観察記録を一斉に再検証・修正した例もあるので[1]、将来の可能性を考えると、今は役に立たないデータや未知・未同定のデータでも、とにかくありのままに、かつクオリティを意識して共有していくことには十分価値があると考えています。ちなみにその研究では、16人ものプロの菌類学者が協働し、過半数の観察記録を「研究用」グレードに到達せしめることができたとのことです。

筆者は初代ポケモン世代ということもあり、iNatの画面上に自分が見たきのこの一覧がずらりと並んでいたり、地図上の点が増えていく様子を見たりすると、自分だけの図鑑が充実していくようでモチベーションが上がります。筆者はあまり数字が重要だとは思っていませんが、「日本の菌類の観察者・同定者ランキング」のようなものもあり、

成果が目に見える形で現れるのもよい機能だと思います。iNatへの貢献に対する金銭的リターンはありませんが、個人の知的好奇心の充足に繋がるほか、世界のナチュラリストの一人として人類の科学に貢献している、という自負を与えてくれるという効果も大きいのではないかと思います。

また、ちょっと変わった視点からiNatの効用を考えてみると、ある人の観察記録はフィールドでの活動履歴を表しているので、サボり気味であればバレてしまう一方、意欲的に活動すれば客観的なエビデンスとしてそれを示すことができると思います。IT業界の採用試験では、GitHubのコントリビューショングラフ(通称「芝生」「草」)を見て、スクールの卒業制作の後、ろくにプログラミングに取り組んでいないことが看破されてしまうケースがあると聞きますが、iNatがとかく可視化されにくいフィールド・サイエンティストとしての能力の評価基準になれば、まっとうに努力し、経験と研鑽を積み重ねてきた人が報われる世の中になるのではないでしょうか。

なお、本記事でもしiNatに興味を持った読者の方がおられましたら、iNatの概要と菌類観察会との連携についてのアイデアは、以下のスライドでもご紹介していますので、ぜひご覧ください。

菌類観察会におけるiNaturalistの利用可能性
~記録の共有から市民科学への貢献に繋ぐパイプライン構想~


[1]Filippova, NV. et al., 2022. Crowdsourcing fungal biodiversity: revision of inaturalist observations in Northwestern Siberia. Nature Conservation Research. Available at: https://cyberleninka.ru/article/n/crowdsourcing-fungal-biodiversity-revision-of-inaturalist-observations-in-northwestern-siberia

中島 淳志 (なかじま・あつし)

1988年生。2014年4月IMIC入職。安全性情報部所属。
学生時代には菌類分類学を専攻。現在は業務の傍ら、アマチュア菌類愛好家(マイコフィ
ル)として、地域のきのこの会等で菌類の面白さを伝える"胞子"活動を行う。
夢は地球上の全菌類の情報を網羅した電子図鑑を作ること。