きのこ×フロンティア

第9回:フロンティアの空白地図

2019.10.01 Tue

菌類・植物

今秋、横浜市内の某公園で行われたきのこ観察会で、筆者は講師を任されたのですが、約70名の参加者の多くがきのこ採集の未経験者でした。そのような方々はおそらく、ほとんどの種類については、図鑑やインターネットで写真を見たことがあったとしても、その実物に触れるのは初めての体験だったと思います。「初めて見た」と感銘を受けてくださると、こちらも嬉しくなるのですが、初心者のうちはなかなか気が付かない事実があります。それは、仮にその人が今後もきのこ採集を継続したとしても、その種類のきのことは二度と出会うことができない、言い換えれば「初めての出会いが今生の別れ」というのは、決して稀なことではないということです。

きのこの同定が困難な理由は本コラムでも既に複数挙げてきましたが、きのこが「神出鬼没」かつ「一期一会」であること、すなわち発生が稀で、かつ予測困難であることはその理由にしばしば数えられます。「When you hear hoofs, think horses, not zebras.(蹄の音を聞いたらシマウマではなく馬を想定せよ)」とは鑑別診断にまつわる格言で、希少な疾患を必要以上に重視する傾向を戒めるものですが、きのこの同定に関しては、馬に混じってシマウマとオカピとユニコーンが同時に駆けてくるような状況も珍しくないといえます。同じ調査地で何年も定点観測を続けていても、発生するきのこの顔ぶれは毎年ダイナミックに変化し、生息地の撹乱のような確かな理由もなく、ある年を境にぱたりと発生が止んでしまった種もあれば、逆にひょっこりと出てくる新顔もありました。

とにかく、きのこの多くが「狙って出会えない」種であることは、野生のきのこを研究材料とする上で大きな阻害要因になるのですが、私はそれとは別に、きのこの「神出鬼没」で「一期一会」な性質がもたらしうる、大きな落とし穴をかねがね憂慮しています。それは、意外で滑稽なことかもしれませんが、「特定のきのことの出会いを特別な、あるいは<<運命の>>出会いと錯覚してしまう」という傾向です。これはいわば、心理的バイアスによって「未知」なるものの価値を過大評価してしまっている状態です。本コラムは一貫して「未知への挑戦」をテーマにしていますが、挑むどころか、むしろそれに「眩惑」されている危うい状態といえます。

筆者は卒業研究から修士課程の3年間、「マツカサキノコ」という、「なぜか松ぼっくりからしか生えない」性質を持つきのこを追いかけていましたが、それを選んだ理由は、単に研究材料を探していた時期が他のきのこの少ない春季で、そのきのこに初めて出会った時、特にその性質が際立って魅力的に感じられたというだけのことでした。事実、現在に至るまでその性質の謎を解明した人はいません。詳細は割愛しますが、もしそれが明らかになれば、ほとんどブラックボックスに近い「野外におけるきのこの分布や生活環」の理解の一助になったはずでした。しかしながら、今更何を言っても詮無いことですが、3年間で得られうる研究成果を目的関数と捉えた場合、この「マツカサキノコ」という選択は、最大の成果を得るための局所最適解にすら程遠かったのかもしれません。これは実際に試行錯誤して初めて分かったことですが、マツカサキノコは培養下で子実体形成を誘導困難であることなど、いくつかの理由で研究材料として好適ではなかったのです。そして、これも後になって学んだことですが、マツカサキノコのように特定のものからしか発生しない性質(学術用語では「特異性/選好性」)を示す菌はマツカサキノコに限らず、菌類のあちこちの系統に点在していました。もし、それら全体を見渡すことができる「地図」が手元にあったなら、より良い別の材料に着目し、新たなアプローチを試すこともできたかもしれません。

実は、きのこの研究地図を描くのに必要な情報は豊富にあり、むしろ人間の知覚可能な範囲を超えて有り余っているとすらいえます。それらが散在していること、構造化されていないこと、有機的に結びついていないことが問題だというのが筆者の印象です。特異性/選好性についても、あるきのこやカビがどの生物を宿主とするかという情報は、米国農務省がデータベースにまとめており (U.S. National Fungus Collections Fungus-Host Database)、調べたい菌の学名を入力すれば宿主の一覧が表示されます。しかし、例えばそのデータベースで最もデータの多い菌はどれで全体の何割を占めるのか、どの生物が最も多くの菌の宿主として振る舞うのか、菌群ごとに宿主の数や構成にどのような違いがあるのか、といった情報を、地図を広げるように「眺める」のは困難です。これは学名、文献、標本、遺伝子などのデータベースでも基本的には同様です(最近はGBIFの「メトリクス」タブのように、良質な可視化を提供している例もありますが)。データベースでその有様なのだから、未集積の情報は推して知るべしです。

フロンティアを一望に収める大局観を得るには、蛙瞰(あかん)から俯瞰への視点変更が必要なのです。しかし、少なくともきのこの分野では、入手可能な図鑑や教科書といった学習資源は、「一目で分かる」ことを重視する設計思想とは縁が浅いのが普通です。そもそも俯瞰とは本質的に得がたいもので、意識してそれを得ようとしなければ、人並み外れた蛙瞰で以って邁進し、そのもののほとんど全てを知り尽くした人がようやく「山の頂で」辿り着ける境地なのではないかと思います。蛙瞰に陥りがちな人のことを「視野が狭い」と非難する人は世に溢れていますが、ではその人たちが全体を見渡す視点を持っていて、そのものをより理解しているかと言うと、決してそうではないはずです。

しかし、初心者には理解しづらいのが当然なのだ、というスタンスでは、いつまでも分野の裾野を広げることはできません。そのような問題意識から、筆者が現在最も注力しているのはデータ可視化(データ・ビジュアライゼーション)の技術です。初めは空白だらけだとしても、まずは手持ちのデータから地図を描いて、対象の領域の広袤と縮尺を感覚で掴むことが大切だと思っています。

下の図は、日本のきのこ図鑑や論文、計44点の掲載種をまとめ、それらの分類学的な位置付けを「サークルパッキング」という手法で表現したものです。大きい円がより高次の分類階級を表し、最小の円(=種名)の大きさは掲載文献数を反映しています。さらにこれをアプリケーション化すれば、例えばユーザーが特定の形質を選択すると、それを持つ分類群の色が変わったり、それを持たない分類群が消えることで候補種が絞り込まれたり、といったインタラクティブな仕組みも実現可能です。単に分類群を列挙しただけの分類表は教科書にも載っていますが、このように可視化を工夫すれば、群間の量的比較や包含関係の把握がより容易になり、新たな気付きが得やすくなるのではないかと思います。

ところで、分類階級のような階層(ヒエラルキアル)データを可視化するには、他にもツリーマップ、サンバースト、デンドログラム、サーキュラー・デンドログラムなどの手法があり、それぞれに長短があるので、上手に使い分ける必要があります。また、筆者がもう一つ、きのこの世界を描く上で非常に重要だと考えているのは、「高次元データの可視化」です。次回はこれらについて議論します。

中島 淳志 (なかじま・あつし)

1988年生。2014年4月IMIC入職。安全性情報部所属。
学生時代には菌類分類学を専攻。現在は業務の傍ら、アマチュア菌類愛好家(マイコフィ
ル)として、地域のきのこの会等で菌類の面白さを伝える"胞子"活動を行う。
夢は地球上の全菌類の情報を網羅した電子図鑑を作ること。