きのこ×フロンティア

第1回:序論

2018.11.13 Tue

菌類・植物

未知なるものの正体を明らかにしたい、という願望は人間の根源的な欲求の一つと言えるでしょう。人類は新たな発見を求めて高山へ、極地へ、深海へ、そして宇宙へと進出してきました。しかし、現代科学の粋を結集させても、なお明らかになっていないものがあることは確かです。そして、それは案外私たちの身近にも存在するのかもしれません。私は少なくとも、その一例を知っています――それは、この連載でご紹介する「きのこ」です。

「きのこ」という生き物について、人々は(もしかすると、専門家ですら)ほとんど何も知らないと言っても過言ではありません。ただ、ひとたびその存在を意識するようになると、極めて多様な「きのこ」たちが私たちと同じ場所に生きていること、そしてその多くが「未知」であるということに気付かされます。多くの人々にとっては見慣れた街角や公園などの風景も、私にとっては、さながら「フロンティア」に見えています。「きのこ」に特に興味がない方も、人生で未知のものと対峙する場面は多々あるかと思いますが、この連載を通じて、私が普段見ている景色を読者の皆さんと共有することで、「未知」と向き合う上での新たな視点を、僅かながらでもお伝えすることができればと思います。

さて、まず初めに「きのこ」とはどのような生き物かを簡単にご説明します。「きのこ」という用語には、ある生物のグループとしての意味と、それらがつくる生殖構造(私たちが「きのこ」として認識している「子実体」という部分)という意味があり、日常語としては両者が混同されているのでややこしいところです。より正確に定義すると、「菌類 (fungi)」という「きのこ」「カビ」「酵母」からなる真核生物の一群のうち、目で見えるサイズの子実体をつくるものが「きのこ」と呼ばれています。実は「きのこ」が生活環の中で「カビ」や「酵母」の姿をとることもあり、「カビ」と「酵母」を行ったり来たりする菌もいるので、それらの境界は判然としません。本当はより学術的な「大型菌類 (macrofungi)」の語を使いたいのですが、本コラムでは生き物のグループを「きのこ」、それが形成する生殖構造を「子実体」と呼び分けることにします。

国内産のきのこには名前がついている種だけでも3000~4000種程度が存在するとされていますが、未知種を加えると1万種を超えるとも推定されています。また、最近はメタゲノムという手法で、実際に生えている子実体ではなく、土壌中や植物などに子実体を作らずに生息している状態のDNAを検出することができますが、そこからも桁違いに膨大な未知種の存在が示唆されています。さらには、キクラゲやタマゴタケのようなごくメジャーな種であっても、分子生物学的手法で再検討した結果、複数種からなることや、海外産と別種であることが明らかになるなど、当然「既知」と思っていたものが実は「未知」という事例もあり、総数の把握は容易ではありません。実際に野外できのこを探してみても、未知種が見つかることはごく普通です。哺乳類や鳥類の新種が見つかれば世界的なニュースになりますが、きのこの新種を「ただ見つける」だけなら極めて簡単です。それを調査し、確かに誰も今までに発表していない新種であることを証拠づけるのが難しいのです。

きのこに限らず、人類は有史以来、未知の事象と遭遇するたびに、それを似た事象と区別し、あるいは同一視し、事象同士をグループにまとめ、階層化するなどの整理を連綿と続けてきました。この知的営為がすなわち「分類 (classification)」です。科学としてのきのこの分類には200年を超える歴史がありますが、1990年代以降にDNAが分類に取り入れられるようになって以降、旧来積み重ねられてきた分類体系がドラスティックに変化するなど、ますます混迷を深めています。鳥類学者のE・マイヤーは分類学的研究の過程を3段階に整理し、未知種を新種として記載し、種の目録を作成する最初の段階を「α分類学」と位置づけましたが、きのこに関してはそれすらも終わりが見えないのが現状です。

しかし、未だ完成には程遠いとはいえ、世界中の研究者がきのこと向き合ってきた成果として、きのこに関する知識(情報)の蓄積量は、到底測りきれないほどに膨大です。生身の人間が一生かけても学び切れるものではありません。しかも、毎日のように新種が世界のどこかから報告されており、新たな情報は日々奔流のように押し寄せてきます。私は菌類学の最新の論文を追いかけ、できる限り全ての新種を把握しようと努めていますが、さながら滝を手のひらで掬おうとするような無謀で、常に無力感に苛まれます。図書館や書店に入った時に、「一生をかけてもこの本全てを読み尽くせない」と絶望した経験のある方もいるのではないでしょうか。

さて、それでは、私たちが未知のきのこと出会った時に、その膨大な知見と、目の前のきのこをどう結び付ければよいのでしょうか。「目前にある未識別の事物・事象が果たして既成の分類のどの部分に位置づけられるのか、あるいはそれに当てはまらない場合、どの部分に最も近しいのか」を追究する行為もまた、「分類」と不可分かつ重要な知的営為です。その行為の呼称は単一ではありませんが、生き物の名前に関しては、それを「同定 (identification)」といいます。これは次回以降のキーワードであり、私が最も関心を持っている事柄です。国際医学情報センターのWebコラムでなぜ「きのこ」なのか、とお思いになるかもしれませんが、実は「医学」と「情報」は、きのこの「同定」にまつわる今後の議論において重要なキーワードになってきます。その辺りも楽しみにしていただければと思います。

中島 淳志 (なかじま・あつし)

1988年生。2014年4月IMIC入職。安全性情報部所属。
学生時代には菌類分類学を専攻。現在は業務の傍ら、アマチュア菌類愛好家(マイコフィ
ル)として、地域のきのこの会等で菌類の面白さを伝える"胞子"活動を行う。
夢は地球上の全菌類の情報を網羅した電子図鑑を作ること。