思い出に残る論文
東日本大震災後に出会った論考
2021.08.17 Tue
Weintraub K Nature 479, pages22–24 (2011)
The prevalence puzzle: Autism counts.
東日本大震災から10年が経過した。昨年からの新型コロナウイルス感染症蔓延はまだ続いており、東京オリンピック・パラリンピック出場予定アスリートの方々にはとても気の毒だ。
2011年3月11日14:46、私は学生とディスカッション中だった。これまでに経験したことのない大きな揺れを感じ、素早くディスカッションテーブルの下に隠れた。オフィスの書棚からは次々と書籍やファイルが落下し、ラップトップのPCを抱えた学生は震えていた。「大丈夫だから!」と励まし続けた数分が永遠のように長く感じた。
あの日以降、それまで当たり前だった日常が大きく変わった。ガソリンスタンドには給油を待つ車が並び、コンビニの棚から商品が消えた。学生のフィジカル・メンタルな健康を考えて、「毎日、少しでも良いから片付けよう!」と声がけし、当時の教員がラボのキッチンで炊き出しをしてくれたランチを皆で食べた。
東北新幹線は不通、仙台空港も閉鎖。圧倒的に出張が減ったので、紙媒体のジャーナルを読む機会が増えた。インターネットの普及により電子ジャーナルが一般的となってからは、PubMedで検索したり電子メールでお知らせされた論文をPC上で読むことが一般的で、図書館に出向くことはおろか、研究室で購読していた雑誌を実際に手に取ることはなくなりつつあったのだ。だが、紙の冊子を読むと、何気ない記事や自分の分野以外の論文などが目に止まったりもする。
そうやって出会ったのが、Nature誌の論考(Weintraub, 2011)だった。震災後、初めての海外出張のお伴に印刷して持っていった。タイトルは「The prevalence puzzle: Autism counts」。内容としては、「自閉症が増えている:なぜ?」というテーマだ。「え? そうなの?」というのが第一印象だった。神経発生の分子メカニズムについて研究していた私たちは、ちょうど、震災前年の12月にPax6遺伝子変異ヘテロ接合ラットの行動解析を論文として発表したところだったが、遺伝子以外のことについて、それまであまり勉強していなかった。
Karen Weintraubというフリーランスのライターが書いたその論考では、1975年の時点で米国で1/5000の頻度であった自閉症が、2009年の時点で1/110に上昇したが、その原因はよくわかっていないとされていた。ただし、25%程度は、1980年代に自閉症の診断基準が確立したことが影響し、さらにそのことによって人々の気づきが多くなったことも(15%程度)関係するのではないかと述べてあった。一方、ヒトの疫学調査により両親の年齢が影響する可能性があるということを指摘していた。まったく初耳だった。
この論考で引用されていた文献(King et al., Am J Public Health, 2009)では、父側よりも母側の高齢の方がより影響があるとなっていたので、さらに文献を調べたた。すると、父側からの影響の方が大きいのではないか、という文献も見つかった(Reichenberg et al., Arch Gen Psychiatry, 2006など)。
そこで、学生のデータを見直した。Pax6遺伝子変異ヘテロ接合マウスでも同様の行動異常があるかどうかを調べているところだったのだが、「データのばらつきが大きいね・・・」という状態だったのを、「もしかして、これ、父の月齢で分けてみたらどうなる?」 と訊いてみた。私たちの実験では、雌は常に若い(3ヶ月)ヴァージンを用いているのだが、雄は交配可能であればずっと使い続けていたからだ。若い雄と加齢した(12ヶ月)雄に由来する仔マウスに分けて行動の解析データを見直すと、確かに父加齢の影響がわかりそうな見通しだった。
ここに1つ重要な示唆がある。学生にデータのばらつきだけ指摘するのは、研究不正の芽となる可能性がある。こっそりデータを綺麗にしたいという気持ちを誘導してしまうかもしれない。ばらつきの原因を探るということが大切だ。
このPax6遺伝子変異ヘテロ接合マウスの行動解析データをまとめ、父加齢があるかどうかで仔マウスの表現型が変わりうることを2016年にPLoS ONEに発表した。この論文は重要な問題を2つ提起している。1つは基礎研究者に対するもので、条件を整えるためには、雌の月齢だけでなく雄も制御すべきであるということ。もう1つはヒト遺伝学者に対するもので、ある遺伝子の作用と父の年齢は交絡する可能性があり、年齢という交絡因子のために、ある遺伝子の関与がマスクされてしまう可能性があるということだ。
そしてようやく今年、震災から10年という節目の年に、一つの集大成となる論文をEMBO Reportsに出すことができた。東北大学以外にもEMBOからもプレスリリースをして頂き、さらに今月、同ジャーナルのScience & Societyというコメンタリーの執筆にも繋がった。もし、東日本大震災が起きていなかったら、論考との出会いもなく、私たちの研究の方向性はまったく違ったものになっていたに違いない。
自閉症の頻度はその後も上昇し、もっとも最近の米国データでは1/54と見積もられている。さらなる研究の推進が必要である。
【取り上げた文献】
Weintraub K Nature 479, pages22–24 (2011)
The prevalence puzzle: Autism counts.
平成元年4月1日(1989)東京医科歯科大学顎口腔総合研究施設顎顔面発生機構研究部門助手
平成8年11月1日(1996)国立精神神経センター・神経研究所 室長
平成10年11月1日(1998)東北大学大学院医学系研究科・器官構築学分野 教授
平成14年4月1日(2002)同大学同研究科附属創生応用医学研究センター形態形成解析分野(現発生発達神経科学分野) 教授(現職)
平成18年11月6日(2006-2017)東北大学総長特別補佐(男女共同参画担当)
平成20年4月1日(2008-2010)東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー
平成22年4月1日(2010)附属創生応用医学研究センター・脳神経科学コアセンター長(〜現在)
平成27年4月1日(2015-2019)同大学同研究科附属創生応用医学研究センター長
平成30年4月1日(2018)同大学副学長、附属図書館長、(〜現在)
東日本大震災後に出会った論考
2021.08.17 Tue / 大隅 典子
Aggregation in vivo of cultured aortic cells of adult rabbits
2021.03.10 Wed / 和田圭司