職員リレーコラム

クォドリベット ~初心者のためのJ.S.バッハ~

2019.02.22 Fri

音楽

ピアノの詩人といったらショパン、オペラだったらヴェルディ、歌曲だったらシューベルトなど作曲家によって得意領域がありますが、J.S.バッハ(1685-1750、以下バッハ)はどの分野でも本領を発揮できるスーパースターと言えるでしょう。バッハにはオペラ作品はないですが、音楽劇風の世俗カンタータ*は存在します。
*世俗カンタータとは、教会カンタータに対して、教会外で演奏されたもの

よりよい条件を求めて雇用主を何度となく変えたバッハにとってレパートリーは雇用主に合わせて変遷してきた一面もあります。教会に勤めれば教会カンタータやオルガン曲、宮廷に仕えれば器楽曲やクラヴィーア曲など、活躍するステージによって作曲分野はおのずと異なりました。また宮廷や教会に勤めるかたわら、君主への表敬や誕生日祝賀、貴婦人の婚礼披露宴用に、あるいは葬儀用にせっせとカンタータを作曲しては副収入を得ていました。何しろ子だくさんでしたから。もちろん多作なのは才能あってこそですから、溢れんばかりの曲想を精力的に曲に落とし込んだのでしょう。

特にライプツィヒ聖トマス教会に勤めていた38歳(1723年)から41歳にかけては、毎週のように教会カンタータを作曲しては楽団の練習を行い日曜の礼拝に間に合わせていたというのですから驚異的です。クリストフ・ヴォルフ[1]によるとバッハの死亡時には初期の作品を含めると教会暦5年分の教会曲が作品目録に記載されていたというのですから300超の作品があったはずです。現存するのは200弱、消失が惜しまれます。どの曲がお奨めかと訊かれてもこれと答えられないほど、どの曲にも滋味があります。ただ、クラシック音楽に馴染みがないと難易度は高いかもしれませんので1曲だけお奨めを挙げておきます。

■カンタータ第106番「神の時はいとよき時なり」BWV.106

この曲はぜひ自分の葬儀に流してほしいと家族に頼んである曲で、哀悼行事(葬儀)用カンタータと言われています。澄み切ったリコーダーの音色、天空から降ってくる歌声に、カタルシスがもたらされ心がゆるみます。ヒーリングミュージックとしてもいいかもしれません。

バッハ音楽の源流――クォドリベット

クォドリベットとは多様な周知のメロディを結合させて一つの作品にしたもので[2]、バッハの作品で有名なのは「ゴルトベルク変奏曲」BWV.988の第30変奏ですが、ここではバッハ一族の年中行事についてお話しします。バッハが生まれた当時、既に100年以上続く音楽一族であったと言われています。各地に散らばる親類たちは年に一度集ってはそれぞれの民謡などを同時に歌い、一種のハーモニーを作り出す即興のクォドリベットで戯れました。それを聴く者、歌う者は心の底から笑わずにはいられず、そこここに笑いの渦が沸き起こったと伝えられています。アドリブの音楽で遊べるとはさすが音楽一族ですが、幼少の頃よりバッハは、親類たちが集っては唱和するクォドリベットで様々な和声やリズムの組み合わせに親しんだことでしょう。そこで体験した和声のぶつかり合いやリズムの重なりは、彼の血となり肉となり作曲の際の発想源となったのだと私は考えています。作品を聴いていると、これは本当にバッハと首を傾げたくなるような斬新な和声の使い方、メロディの載せ方、楽器の組み合わせ等に出会います。こうした遊び心はクォドリベットで醸成されたのかもしれません。そんな遊び心満載の音楽が世俗カンタータにはあります。比較的初心者にもなじみやすいと思われますので、よろしかったら聴いてみてください。

■カンタータ第211番「おしゃべりはやめて、お静かに(コーヒー・カンタータ)」BWV.211
コーヒー店で初演された音楽劇です。コーヒーにうつつを抜かす娘とそれを止めさせたい頑固親爺のやりとりが描かれています。さて最後はどちらの勝ちでしょう?

■カンタータ第212番「わしらの新しいご領主に(農民カンタータ)」BWV.212
1組の農民男女が方言丸出しで風刺を込めて新領主を讃えた作品です。当時の俗謡をふんだんに織り交ぜたにもかかわらず、思わずワインが飲みたくなるこの格調の高さはバッハならではです。ビールで乾杯、HaHaHaと笑いまで歌にしてしまう遊び心満載の曲です。

もし貴方が既にクラシックファンでこれらの曲をまだ聴いたことがないのなら、一度聴いただけでバッハ観が180度変わるかもしれません。

現代ではバッハの音楽はロック、ジャズ他さまざまなジャンルで流用され、250年の時と国境を越えてクォドリベットとなり蘇っています。バッハのメロディの上に別のメロディが重なり、リズムを変えテンポも変わる。楽器だって当時は存在だにしなかったような楽器で演奏されている。そうした現代のクォドリベットに古臭さを感じることはないでしょう。それどころか何世紀もの時間の流れがまるでなかったかのような新鮮さに感銘を覚えます。クラシックに苦手意識のある方は、クォドリベットから馴染むのもいいかもしれませんね。

※YouTubeで検索する場合、バッハの作品は、BWVという作品番号で簡単に探すことができます。

[1]カンタータ全集Vol.1 コープマン&アムステルダム・バロック管弦楽団&合唱団 ERATO ライナーノートより
[2]「新音楽辞典 楽語」淺香淳 音楽之友社 1981年12月20日第11刷

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