職員リレーコラム

さよならと言えたなら… ~私の猫との思い出~

2019.01.28 Mon

動物

「あ!猫がいる!」
三男を保育園に迎えに行くと、事務所に1匹のキジトラの子猫がいました。保育園の先生がカラスに襲われそうになっている子猫を保護したそうです。しかし、その先生は家の事情で飼うことができないとのこと。
「ペットが居たら子供が喜ぶな」と思う半面、「いつか来る猫との別れに私が耐えられるだろうか」という不安が沸き起こり、「引き取る」とはなかなか言い出せませんでした。
しかし、もう保育園は閉園する時間。このままではどうしようもない。
「1日くらいなら預かるよ」―――そう言ってうちに連れて帰りました。


「命を預かる」ということは大変なこと

そして4年、その猫は未だに我が家に居ます。結局、他に引き取り手は現れず、家族が熱望したこともあって、我が家の一員になりました。
しかもその後、もう1匹、足長のマンチカンという商品価値のない茶トラ猫をブリーダーから引き取ることになり、今では2匹の猫を飼っています。

性格は2匹で全く違います。
元野良猫のキジトラは人に対する警戒心を持っています。そのため、家族以外の人が来るとすぐに隠れてしまい、なかなか姿を見せません。
一方、茶トラは生まれたときから危険な状況になったことがないので、キジトラほどは人を怖がりません。家族に対してはすぐにお腹を見せて甘えます。

とてもかわいい猫たちですが、世話は大変です。
毎日の食餌や排せつの処理はもちろんのこと、毛が抜けるのですぐに掃除が必要です。また爪とぎで家の壁や柱はボロボロです。
茶トラは泌尿器系の病気を持っています。
餌に注意することで幸いにも症状は抑えられていますが、この先もずっと病気用の食事を与え続けなければいけません。
キジトラは病院から猫風邪にかかっているだろうと言われていますので、老猫になったときに再発する可能性もあります。
命を預かるということは楽しいことばかりではありません。

黒猫の死を教えてくれなかった母

私が子供の時、猫を飼っていました。華子という名の黒い猫でした。
ある日、母が知り合いからもらってきました。私は初めて見る猫にビクビクしながら触ったことを覚えています。
一人っ子だった私にとって、華子は妹のような存在でした。「家に帰ったら猫がいる。」―それだけで、たった一人で親の帰りを待つ寂しさが薄れました。

華子は17年生きました。
私が結婚して実家を離れ、長男を妊娠している頃、母が家の前を掃除している間にひっそりと死んだそうです。
母は、「妊婦に死は不吉だ」といって、しばらく黒猫の死を教えてくれませんでした。私がそれを知ったのはペット用墓地に埋葬された後のことでした。

『さよならも言えなかった』

華子が居なくなった実家は、エサの茶碗が片付けられ、トイレも処分され、猫の気配が無くなって、まるで違う家のように感じました。
私はいろいろな思いが絡みあって、気持ちの整理をつけることが出来ずに、途方にくれました。

「あのとき“さよなら”と言えたなら…」―――そう思って母を恨んだ時もありました。
でも、今の猫たちと触れ合うとき、思い出すのです。華子を抱えて眠った時の温かさを。何か形として残ったものは無いけれど、華子との温かい思い出は、この先も消えず、私の中に生き続けていきます。

『まあまあいい猫生だったニャ』と思ってもらえたら

今飼っている猫たちにも必ず死は訪れます。願わくは眠るように穏やかに逝ってほしいですが、命は誰にもコントロールできません。
寿命はあと10年くらい。その間、猫たちはどんなことを思って我が家で生活するのでしょうか。

「父さんは餌の人」
「母さんはトイレの人」
「兄さんのベットは寝やすいな」
「この柱は爪とぎに最高だ」
「ベランダは暖かいな」

そして猫たちが死ぬときに、『まあまあいい猫生だったニャ』と思ってもらえたら、きっと飼い主冥利につきる。
……そんな将来を想いながら、さよならの瞬間まで、一緒に過ごせることを大切にしているのです。

Three boys’ & two cats’ mom