職員リレーコラム

恐竜小僧、西へ

2018.11.13 Tue

動物

4、5歳のころ私にとって鍾愛の一冊だった動物図鑑の中でも、とりわけ魅せられていたのは巻末近くで古生物たちを紹介した数ページでした。

今思えばそれらは1962年刊の「原色前世紀の生物」(Prehistoric Animals,ジョセフ・オーガスタ著)に掲載された画家ズデネック・ブリアンによるイラストを下敷きにしたものだったらしく、その時代の多くの子供が多種多様な古生物の姿に驚異の目を見張ったであろうことは想像に難くありません。

その後、1976年刊の「大恐竜時代」(Hot Blooded Dinosaurs,アドリアン・デズモンド著、加藤秀訳)という新書版の本との出会いは大きな衝撃でした。

さほど売れなかったのか日本国内で反響の声はあまり聞かれませんでしたが、恐竜が爬虫類のような変温動物ではなく温血だったという説や、鳥が恐竜の生き残りであるという視点を一般向けに紹介した本は国内ではこれが初めてだったのではないでしょうか。

そうした当時の恐竜研究の最前線を知って、遥か昔に滅びた古生物たちを扱う学問が今も躍動し流動し続ける熱い世界であることを理解できました。

1970年代を通じ、かつて沼から首をもたげていたブラキオサウルスたちは陸生となり、ティラノサウルスはゴジラ的な仁王立ちポーズをやめ、体幹から尻尾の水平ラインを二本足で支えた姿に変わっていったのです。

そして1993年の映画「ジュラシック・パーク」でようやく新しい恐竜像が人口に膾炙し、往年の恐竜小僧は一息ついたものです。

しかしその後も科学の進歩は果てしなく、今や歳とって固くなった頭では慌ただしく更新されてゆく恐竜像の把握に窮するばかりとなりました。

羽毛の付いたティラノサウルス幼体の化石が発見されるや恐竜展のポスターにモフモフなTレックスの復元図が踊り、2,3年経って体表の研究が進むとそれはやり過ぎらしいということで多少元に戻されているくらいですから。また、4半世紀前に「ジュラシック・パーク」シリーズで知られるところとなったヴェロキラプトル(実際のモデルがディノニクスであることは大抵の恐竜本で指摘されています)は最新作でも1993年の第一作の姿のまま活躍していましたが、ラプトルにせよディノニクスにせよ4半世紀の間に羽毛の跡を残した化石によってすっかり外観が変わっているのを、最近の図鑑や恐竜展で見慣れた子供たちは知っています。

なるほど、科学技術の領域においておよそ恐竜ほどカレントな研究成果が子供に浸透している分野もないでしょう。

今日、書店の児童書コーナーの各社図鑑シリーズを見ればいずれも「恐竜」が一冊分を乗っ取っており、短期間で新訂版に切り替わっていきます。かつて大衆レベルでは翼竜も魚竜も頸長竜も恐竜の一部と認識されていたものですが、今では児童書だからこそ科学的な厳密さが要求されるのか、こうした分類上恐竜と異なる巨大爬虫類はきっちり別枠扱いされています。

すなわちディメトロドンやモササウルスやプテラノドンといった面々はオミットされるか、付録的なページに押し込められているのです(特にモササウルスなどは「ジュラシック・ワールド」(2015年)でおいしい役どころが振られていたものですが)。

恐竜温血動物説や、鳥が恐竜と同じ系統上の動物であることなどは図鑑でも子供の方が大人より良く知っているかも知れません。

ひと昔前、アカデミズムの世界では古生物学は道楽扱いされ肩身が狭い立場にある、という内容の論説を新聞で読んだことがありますが、この世界では若年のアマチュアが歴史的大発見をすることが珍しくありません。

思えば50年前、恐竜ではないにせよ福島県いわき市で発掘されたフタバスズキリュウは第一発見者が当時中学生の少年だったことでより耳目を集めましたし、1979年に肉食恐竜とみられるミフネリュウの歯を発見したのも小学生、1986年に石川県でカガリュウと名付けられる肉食恐竜の歯の化石を発見したのも女子中学生で、特にこの一件は同じ地層群が続くお隣の福井県が自治体ぐるみで発掘に取り組むようになった契機のひとつと言われており、現在福井は県立の恐竜博物館を擁して恐竜王国を標榜するに至っています。

さて、未曾有の猛暑に襲われた2018年の夏は(これも子供の頃に本で見た日照りの中で絶滅してゆく恐竜の想像図を脳裏に思い浮かべましたが)、恒例行事のようになっていた首都圏での大規模な恐竜展がなぜか開催されなかったこともあり、それならばと秋の台風シーズンをぬって噂に聞く福井県の恐竜博物館に遠出しようと思い立ちました。

京都駅を経由して特急サンダーバードで1時間半、JR福井駅を降りたってみれば、駅前は至るところ恐竜、恐竜、折しも開催中の福井国体の公式キャラクター「はぴりゅう」も恐竜なのでした。

 

 

JR福井駅に隣接するえちぜん鉄道に乗り換えて勝山駅までさらに約1時間、九頭竜川を挟んだ渓谷地の彼方に福井県立恐竜博物館のドーム型の外観は鈍く光っていました。

福井県立恐竜博物館

博物館のゲートにたどり着けば、なぜか鋭い視線の黒スーツの男性たちがあちらこちらに立っており、ものものしい雰囲気? 三笠宮信子殿下が視察に訪れており、今お帰りになられるところだからと説明を受け日の丸旗を渡されました。

開催中だった特別展は「獣脚類・鳥に進化した肉食恐竜たち」と題され、鳥に進化していく系統である獣脚類(ティラノサウルス、ヴェロキラプトルなど)と初期鳥類の化石や復元模型が特集されていました。特に白亜紀の鳥についてはこれまで系統だった展示が行われた記憶がないため非常に興味ある内容でした。近年、四肢のそれぞれに翼をもつ恐竜マイクロラプトルが恐竜ファンの話題をさらいましたが、初期の鳥類もまた脚部に羽根をもつ化石が発見されており、鳥が現在の飛翔方法を成熟させるまでに紆余曲折を経ていたことが伺い知れます。

それにしても、私が十代の頃見てきた恐竜展は他国の科学アカデミーの協力によるものが中心だったように思いますが、最近の恐竜展での展示標本は企業の所有物や個人蔵であることがしばしば明示されています。

今や恐竜もビジネス、大人たちにとっては価値ある「商品」であるという現実も感じさせます。

なれど、福井恐竜博物館にたむろす子供の興味津々たる目を見ていると、恐竜研究を経済面でも支えているのが彼らであり、この中にはやがて消費者の立場を越えて恐竜の謎を解き明かす研究者が現れるかも知れません。恐竜温血説を推進してきたロバート・バッカー博士は映画「ジュラシック・パーク」(第一作)でもその名を引用されていましたが、古生物学の風雲児となった彼は恐竜ファンとして突き進んだ結果、そのまま科学者となったかの如きファナティックな印象があります。

またつい昨日も琥珀に閉じ込められた獣脚類の化石を発見した中国の青年科学者シン・リダ博士のインタビュー記事を雑誌で読んでみたら、この方の出自もまさしく恐竜オタク・・・。

子供たちの好奇心で発見された恐竜が、大人たちの手を経てふたたび子供たちの好奇心へと還元してゆく、そんな時代を越えた循環に大袈裟な言い回しですが悠久のロマンを感じてしまいました。

恐竜小僧